山中漆器の起こり

 山中漆器の発祥地は、山中温泉を流れる大聖寺川源流の真砂(まなご)というところです。残念ながら今は、廃村となっています。この真砂に残っている免許状(1559年)と正親町(おおぎまち)天皇から賜った綸旨(1580年)の写しがあり、戦国時代から400年以上の伝統があることがうかがえます。

 真砂の木地師(轆轤師)は、お隣の福井県より移り住んだといわれています。 
 この木地師たちが、なぜ山中温泉の真砂に移り住んだかというと、トチ、ケヤキのよい材料(良材)を求めて山奥に入りお椀やお盆(丸もの)をつくり、原木が尽きるとほかの山に移り住む生活を送っていたようです。

 
江戸時代の初めごろには九谷に、元禄時代には山中温泉にまで轆轤の技術が伝わり湯治客への直売も行われます。

 さらに福島県の会津若松から湯治に来ていた
蒔絵師 会津屋由蔵に漆器商の越前屋六右衛門が、技術の伝授を何度も嘆願し、承諾。山中村に永住、若者たちに蒔絵の技法を伝授したので山中漆器は、一段と発展しました。

明治になると海外へ輸出するようにもなりました。

山中漆器は、
問屋制度により急速に発展していきます。

カトラリー彩庵 中嶋陽子
saian@po2.nsknet.or.jp


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